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【フェルナンデスの終焉】時代を彩ったギターブランドの倒産

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フェルナンデス。多くのギタリストにとって、その名は特別な響きを持つブランドでした。1969年に設立されたこの日本の楽器メーカーは、エレクトリックギターやエレクトリックベースで数々の名モデルを生み出し、多くのプロ・アマチュアギタリストから愛されました。
筆者はフェルナンデスのギターはZO-3ギターしか持っていませんが、実際、筆者の周りでもフェルナンデスのギターを持っている人たちは結構見かけました。
フェンダーやギブソンのコピーモデルから始まり、独自のオリジナルモデルや画期的な機能を持つギターまで、その革新性と品質は音楽業界に大きな影響を与えてきましたが、2024年7月11日、フェルナンデスはついにその歴史に幕を引くことになりました。

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フェルナンデスの誕生と成功の道

フェルナンデスの前身である斉藤楽器は、1969年2月に設立されました。
設立当初はクラシックギターの販売を主な業務としていましたが、その後エレクトリックギターの市場に参入することを決意しました。
この決定が、フェルナンデスの成功の道を切り開くきっかけとなります。
1972年10月、社名をフェルナンデスに変更し、エレクトリックギターの販売を本格的に開始しました。

フェルナンデスは、フェンダーやギブソンのコピーモデルを中心に展開し、フェンダー系はフェルナンデスブランド、ギブソン系はバーニー (Burny) ブランドと分けることで、市場のニーズに応えました。
特に、フェンダーのコピーギターはその高い完成度で評判を呼び、プロ・アマ問わず多くのギタリストに支持されました。フェンダー社からクレームが来るほどの再現度は、その品質の高さを証明しています。

フェルナンデスの成功は、ただのコピーにとどまらず、オリジナル要素を取り入れた設計にありました。1970年代後半から1980年代にかけて、フェルナンデスは独自のデザインや技術を取り入れたモデルを次々と発表しました。特に1985年に発売された「FRシリーズ」は、24フレット仕様や多様なピックアップ配列で、スーパーストラトタイプのギターとして人気を博しました。

さらに、1990年に発売されたスピーカー内蔵エレクトリックギター「ZO-3」は、独特なデザインと携帯性から大ヒット商品となり、35万本以上を売り上げました。

また、弦の振動を持続させる画期的な機能を持つ「サスティナー」は、エドワード・ヴァン・ヘイレンやスティーヴ・ヴァイなどの世界的ギタリストに愛用され、その革新性を証明しました。

フェルナンデスの成功は、単なるコピーではなく、独自の革新と高品質を追求する姿勢にありました。これが、多くのギタリストに愛される理由となり、日本だけでなく世界中でその名を知られるブランドへと成長しました。

フェルナンデスの主なモデルについて

フェルナンデスは、多くの魅力的なギターモデルを世に送り出してきました。ここでは、その中でも特に注目すべき主なモデルについて詳しく説明します。

FRシリーズ

1985年に初めて発売されたFRシリーズは、ディンキー(スーパーストラト)タイプのギターで、長い間多くのギタリストに愛され続けています。FRシリーズは、24フレット仕様やSSH配列のピックアップが特徴で、多様な仕様が存在します。特にフロイドローズタイプのブリッジが多くのギターに搭載されており、プレイヤビリティの高さが評価されています。

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TEJシリーズ

TEJシリーズは、1988年に発売されたTEJ-45が初出で、布袋寅泰やBUCK-TICKの使用により大ヒットしました。このシリーズは、テレキャスターボディにジャクソンタイプのヘッドを持ち、プレート付きのボルトオンネックが特徴です。80年代後期から90年代初頭にかけて、多くのミュージシャンに支持されました。

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ZO-3シリーズ

1990年に発売されたZO-3シリーズは、スピーカー内蔵エレクトリックギターとして一世を風靡しました。このギターは、そのユニークなデザインと携帯性から大ヒット商品となり、35万本以上を売り上げました。ZO-3は、自宅での練習やちょっとしたライブパフォーマンスに最適で、特に若いギタリストに人気がありました。
ZO-3の増産はもう無くなってしまいましたね(笑)

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Hシリーズ

Hシリーズは、1992年に初めて登場したモデルで、布袋寅泰の「まったく新しい形のギター」という要望から開発されました。H-CUSTOMは黒ボディと白パールのピックガードの色合いから「シャチ」の愛称で呼ばれ、多くのファンに愛されました。後年には2ハムバッカー仕様のモデルも発売され、hideが愛用した「くじら」の愛称で知られるギターもこのシリーズに含まれます。

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Ravelleシリーズ

Ravelleシリーズは、レスポールと同じ構造の2ハムバッカータイプで、フェルナンデスUSAの看板モデルとなっています。このギターは、ヘッドとボディ形状に独自のアレンジが加えられており、他社に模倣されていないためオリジナリティを保っています。特に、日本版のRJ-95T(TRANSTIC NERVE TALシグネーチャーモデル)が有名です。

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サスティナー

サスティナーは、弦の振動を持続させる画期的な機能を持つ商品で、エドワード・ヴァン・ヘイレンやスティーヴ・ヴァイなどの世界的ギタリストに愛用されました。この機能は、永続的なサステインを得られるというもので、フェルナンデスの技術力の高さを象徴しています。

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業績悪化と倒産の経緯

競争激化と市場の変化

1990年代末から2000年代初頭にかけて、ギター市場は急速に変化しました。まず、中古市場の台頭がありました。中古楽器の人気が高まり、新品の楽器の販売が減少したのです。さらに、海外からの低価格な楽器の流入もあり、フェルナンデスのシェアが徐々に縮小していきました。この競争激化は、同社にとって大きな痛手となりました。

財務状況の悪化

1999年1月期には年間売上高40億円に達していたフェルナンデスですが、その後の業績は急速に悪化しました。2022年1月期には売上高が1億6608万円まで落ち込み、2414万円の最終赤字を計上しました。このような財務状況の悪化は、経営を圧迫し続けました。

大阪フェルナンデスの影響

フェルナンデスにとって追い打ちをかけたのが、大阪フェルナンデスの破産です。大阪フェルナンデスは西日本地区の代理店として長年フェルナンデスと関係が深く、新型コロナウイルス感染拡大に伴う音楽活動の規制が原因で製品需要が減少し、2023年に自己破産を申請しました。

最終的な倒産

2024年7月11日、フェルナンデスはついに事業を停止し、弁護士に破産手続きを一任することを発表しました。負債総額は2024年1月期決算時点で4億3389万円にのぼり、同社の長い歴史に終止符が打たれました。この倒産は、多くの音楽ファンやギタリストにとって大きな衝撃となりましたが、同時に市場の変化と競争の厳しさを象徴する出来事でもありました。

まとめ

フェルナンデスは、1969年の設立から2024年の倒産まで、日本のギターメーカーとして輝かしい歴史を刻んできました。フェンダーやギブソンのコピーモデルからスタートし、独自の革新性を持つオリジナルモデルやサスティナーなどの画期的な技術で、多くのプロ・アマチュアギタリストに愛用していました。
しかし、市場の変化や競争激化により業績が悪化し、2024年に破産に至りました。
フェルナンデスの終焉は、ギターファンにとって大きな衝撃ですが、その歴史と革新は今後も音楽業界で語り継がれることでしょう。
フェルナンデスが残した遺産は、これからも多くのギタリストたちにインスピレーションを与え続けることを願います。

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ABOUT ME
凪ぺえ
日々のオフィスワークに追われながらも、心のどこかでいつも最高のギターサウンドが鳴り響いています。50代になっても、ギターを手にするときのワクワク感は変わりません。仕事で疲れた日も、ギターがもたらす無限の情熱と音楽を通じた人生の豊かさを皆さんと共有できれば幸いです。